特集
撮る観光案内(列車で訪れるアンボワーズ城とクロ・リュセ・後編)
今回は、『列車で訪れるアンボワーズ城とクロ・リュセ・後編』ということで、前回のアンボワーズ城に引き続き、クロ・リュセの館の行程をご紹介いたします。
お腹も空く時間になり、城の外に出て、エントランスにあるお土産屋さんを下ったところにある、レストランに入り込みました。ここはクレープのお店です。2種類のクレープに舌鼓を打ち、元気を取り戻しました。
店を出て、坂道を登ってゆくと、いよいよレオナルド・ダ・ヴィンチが住んでいたクロ・リュセの館に到着しました。
クロ・リュセの館
歴史:
1471年ルイ11世の執事を務めていたエチエンヌ・ル=ルーにより、12世紀に建造されました。住居棟は螺旋階段のある八角形の塔を囲むように設計され、緑豊かな庭園に囲まれています。1490年シャルル8世の所有となり、それ以後200年にわたり代々フランス国王が居住しました。1516年フランソワ1世の招きによりレオナルド・ダ・ヴィンチはここに居住することになります。
入場券を握り締め、螺旋階段から2階の回廊へ。この回廊からいよいよ建物の内部へ。
ダ・ヴィンチの寝室・仕事部屋を通り、1階のアンヌ・ド・ブルターニュ小礼拝堂へ。祭壇前から振り向き扉の上の壁に光の聖母が描かれています。光の聖母の足は三日月の上に乗っており、「Virgo Lucis(光の聖母)」と呼ばれていますが、これがLUCE(リュセ)という言葉の由来といわれています。



その後は18世紀の応接間へ移動しました。外の光がたっぷり入るこの部屋はダ・ヴィンチのアトリエとして使われ、ここでイタリアから持参した「洗礼者聖ヨハネ」「聖アンナと聖母子」を完成させました。小客間・ルネッサンス様式の大広間・そしてベジタリアンであったダ・ヴィンチの料理を作った厨房へ移動しました。


いよいよ階段を下り地下へ移動です。ここにはダ・ヴィンチが構想した40台もの機械模型が展示されています。戦車、自動車、ヘリコプター、パラシュート、土木、水力などの分野における発明の数々を鑑賞することが出来ます。
また、この地下には地下道の入り口があり、400メートル離れたアンボワーズ城とつながっています。フランソワ1世はこの地下道を使って度々ダ・ヴィンチと会っていたと伝えられています。
地下の見学が終わり庭に出ました。この庭からアンボワーズ城が見えます。正面玄関のほうに向かうと広い庭が広がっており、現在は「芸術とダ・ヴィンチの知性を演出するカルチャーパーク」となっており、かつてダ・ヴィンチがここで散歩を楽しみながら自然を観察する中で「創造と発明」がされたのだということを体験しました。


三枚の絵:
1516年秋フランソワ1世の招きを受けダ・ヴィンチは何人かの弟子たちとロバの背にまたがってアルプス山脈を越えてきました。ローマから運ばせた皮製のかばんには三枚のお気に入りの絵が入っていました。
「モナ・リザ」「洗礼者聖ヨハネ」「聖アンナと聖母子」現在この三枚の絵はルーブル美術館に所蔵されています。三枚の絵は比較的近くに展示されていますので見落とさないように!
ルーブル美術館の3つの入り口のひとつ「ドゥノン扉」から「モナ・リザ→」という案内に従って移動すると、5番イタリア絵画というところを通ります。この左の壁に「洗礼者聖ヨハネ」「聖アンナと聖母子」があり、その後右に入った6番の部屋に「モナ・リザ」があります。
帰路
全ての見学を終了し、館を後にして、再びアンボワーズ城に向かって坂道を下りました。城の前の店にてしばしお土産を見ていると、時計台の前にて、かつての農民の衣装を着た人達がダンスを披露していました。


お城を後ろにしながら再びロワール河を渡り、駅に向かいました。15:52発の列車に間に合うようにアンボワーズ駅に到着できました。列車情報のテレビ画面見たら「RETARD 30mn」となっているではありませんか。30分遅れの表示です。まあいいかと皆さんでベンチに座って待っていました。16:05ごろに突然と列車がホームに入ってきました。30分遅れなのでこの列車は違うだろうと思いつつ、入ってきた列車の扉を見たら「TOURS」の文字。
「この列車に乗るんだー」と、皆さんに伝え、慌てて切符にパンチを入れ、閉まる扉を押さえてもらって乗り込みました。
すぐに列車が動き出し、空いている座席はあるかなと周りを見てびっくりしました。目の前には自転車がぶら下がっているではありませんか。その自転車を見ながらなんだかんだで列車はサンピエール駅までまっしぐら。ここで沢山の人と自転車が下りたので、ここで下りなければいけないのかとやや不安になり、ホームの表示板を見ました。そこにはTOURSの文字があり、ようやく空いた座席に座りました。再び列車が走り出し、5分ほどでトゥール駅終点です。
16:30にはトゥールに戻ってきました。
感想
列車を使っての城見学でした。いろいろな出会いと楽しい見学、ハプニングもありましたが、これが「旅」かもしれません。皆さんはどんな旅を経験されるでしょうか?
撮る観光案内(列車で訪れるアンボワーズ城とクロ・リュセ・前編)
特集「撮る観光案内」の第三弾にて アンボワーズ城とクロ・リュセの館をご紹介しましたが、今回この地を再度訪問する機会を得ましたので、写真と共にご紹介します。
まずは前編のアンボワーズ城までの行程をお楽しみください。
古城めぐりは観光バスを利用するというのが一般的ですが、今回は列車を使って一日のんびりと訪問しました。切符は前日トゥール駅の切符売り場にて購入して準備万端です。
出発・移動
トゥール駅始発09:40のオルレアン行きの列車に乗ります。始発であったため混むことなく座席も確保して出発です。
途中いくつかの駅に停車しましたが、10:04アンボワーズという駅にて下車しました。ホームには駅職員もいません。地下通路にて反対側の駅舎のほうに移動しましたが、ここにも全く駅員がいない状態で、外に出ました。
駅前にも人はいないので、この方向でいいだろうと判断し、とぼとぼと歩き始め、ロワール河まで移動しました。
ジェネラル・ルクレール橋を渡り、ロワール河の中州まで歩くと、アンボワーズ城が目の前です。車も人も急に多くなりました。
城に向かって歩くと右側には「BIGOT」のお店があります。日本にて本物のパンを伝え続けたPhilippe BIGOT氏の親戚のお店です。さすが有名なお店、沢山の方がチョコレートやお菓子とお茶を堪能していました。日本人の観光客の方もガイドブック片手にお茶を楽しんでいました。
アンボワーズ城


歴史:
ガリア=ローマ時代から要塞化され、ゴチック様式にて作られていましたが、シャルル8世・ルイ12世・フランソワ1世が相次いでナポリ王国やミラノ公国へと遠征しました。遠征によって芸術家や芸術作品を持ち帰り、イタリア・ルネッサンスがこの地からフランスに広まることになりました。
しかし、ルイ13世時代に建物の解体が行われ、その後ナポレオン治下の命令にて解体が続行され、このフランス・ルネッサンスの最初の城は姿を消すことになります。
入城すると目の前に庭と城が広がっていました。左手にサン=テュベール礼拝堂です。レオナルド・ダ・ヴィンチの墓があります。礼拝堂横のテラスから下を見ると眼下に町の屋根が広がり、左を見ると後ほど訪問予定であるクロ・リュセ(レオナルド・ダ・ヴィンチが住んでいたところ)が遠くに見えました。

反対側のテラスに行くとロワール河が右から左にゆったりと流れ、先ほど駅から歩いてきた方向を見ますと高い建物などなく、地平線を見渡せる光景に満足しました。
城の住居部分に入り込みますと、最初はゴチック様式の住居棟があります。衛兵の間・貴族衛兵の間・会議の間などを通過し、ルネッサンス様式の居室へと移動しました。



給仕の間・アンリ2世の寝室などを通り抜けると、いよいよミニームの塔に出ます。この塔はロワール河の道路から引き馬や騎馬のまま登ってこられる通路です。階段ではなく傾斜通路になっていて40メートルある城内に入り込めるようになっています。



外に出ると美しい芝生の庭があり、レオナルド・ダ・ヴィンチの胸像があります。このあたりがレオナルド・ダ・ヴィンチ最初に埋葬されたサンフロランタン参事会教会(12世紀のロマネスク教会)であったとのこと。19世紀にこの教会が取り壊され現在のサン=テュベール礼拝堂に遺骸は移されました。
振り向いて建物を外から見ると、屋根の部分にある天窓が左右の建物で違っています。左の建物がゴチック様式、右の建物がルネッサンス様式となっているのがわかります。



いかがだったでしょうか?
このアンボワーズ城はユネスコ世界遺産にも登録されている美しい城です。
中世の街並みを残すこの場所を、カメラ片手に歩き回ると、本当に心が躍ります。
是非とも実際の目でご覧ください!
さて次回は、『列車で訪れるアンボワーズ城とクロリュセ・後編』ということで、クロリュセの館をご紹介します。お楽しみに!
撮る観光案内(サッシェ館〔オノレ・ド・バルザック〕編)
フランスの小説家オノレ・ド・バルザックをご存知ですか?「谷間の百合」「ゴリオ爺さん」「人間喜劇」など多くの作品を残しました。観光案内書を見ますとパリ市内16区(エッフェル塔のセーヌ川反対側)に「バルザック記念館」があり1840年~1847年の8年間住んでいました。
バルザックは、私の勤めるフランス甲南学園トゥレーヌのあるサンシール市と隣町トゥール市と非常に関係があります。実はバルザックはここトゥール市の出身なのです。
今回は、バルザックの生涯をご紹介するとともに、彼が多くの小説を書き上げたサッシェ館についてご案内いたします。
生誕地トゥール市
バルザックは1799年5月20日、トゥール市のラルメ・ディタリー通りにて生まれました。このラルメ・ディタリー通りは、現在のナショナル通りという名前のメインストリートにあたります。1940年6月の爆撃により、この通りは大きな被害を受けたため、生誕地は正確にはわからないのですが、ナショナル通り53番地界隈のようです。現在は薬局になっているところでした。トゥール駅の左手にトゥール市役所があり、そこからロワール河に向かって北にまっすぐ伸びた通りがナショナル通りです。
1999年には生誕200年記念行事が行われ、たくさんの催し物が企画・実行されました。また、記念の大きなガラスのモニュメントも製作され飾られています。このモニュメントを製作したのは、以前本校にて美術の先生であったジャン・フランソワ・ヴィアール
さんです。トゥール駅の北500メートルにあるサンガシアン教会の手前にトゥール美術館
があり、その門の前にある小さな公園
内の噴水の横にこのモニュメントがあります。ヴィアールさんはガラス工芸作家であり、トゥール南の大きな屋敷内にアトリエを持っていますが、現在はモロッコにて創作活動をしています。
サンシール市

年譜にはこのように書かれています。「妹が生まれると同時にサン・シール・シュール・ロワールに里子に出される。」また、短編「ざくろ屋敷」というものがありますが、生誕地のナショナル通りからまっすぐ北に行き、ロワール河のウイルソン橋を渡り、渡り終えた十字路を左に曲がり川沿いの道を西に向かうと、右手の丘の上に緑色の雨戸のかかっている家があります。これがざくろ屋敷であり、まさに私の勤めるフランス甲南学園トゥレーヌのあるサンシール市内です。
幼いときから里子に出され母親の愛情を受けることがなく、また1807年6月から1813年4月までヴァンドームの学校寄宿舎に入れられ、この6年間で母親の面会が2度しかなかったという孤独な少年時代を送り、その後の小説の登場人物像に重なり合うという事実になっています。
パリ
1814年家族と共にパリに引越し、大学では法律を学ぶのですが、ジャーナリストと小説家を志します。また、実業家でもあり出版社の創立にかかわったりして、パリにて住居を転々と移動します。1826年印刷業を創業しましたが、1828年に倒産し、莫大な借金を返すために小説や記事を書き始めました。この後もパリでは何度も住居を移動し、1840年から住んだところが、現在「バルザック記念館」として博物館になっており、遺品や調度品・絵画などが展示されています。
サッシェ館
サッシェ村はトゥール市の南西約20キロに位置するこじんまりした村です。その村の中心地にサッシェ館があります。中世に建てられ17世紀にはルッセレ家の所有になり、19世紀にはジョン・マルゴンヌ夫妻が買い取り住み始めました。マルゴンヌ氏と親しい間柄であったバルザックはここに頻繁に滞在するようになります。初めてこの館にきたのは1813年寄宿生活時に読書のし過ぎから体調を崩し、実家に連れ戻されたときであり、この館にて体調を取り戻しました。
作家時代にはパリから逃れ、作品の構想を練るためにトゥレーヌに戻りました。1824年から1837年まで、毎年のようにサッシェ館を訪れていたそうです。館主であるマルゴンヌ氏はバルザックの滞在中には知人を呼んでサロンを開いていました。そのときにバルザックは書き上げた作品を披露したり、客人の話からアイデアを得ていたりしました。「ゴリオ爺さん」「谷間の百合」などの多くの小説をこの場所にて書いたということで知られています。
庭に出て辺りを見回すと、なだらかに傾斜した草原が続く様子が見られ「谷間の百合」の背景になった「谷間」を感じることができます。
その後マルゴンヌ家からメタディエ家に所管が移り、1951年にポール・メタディエ氏によって[バルザック記念館]としてオリジナル書籍や寝室などを整えてきました。現在はアンドル・エ・ロワール県の所有物となり、オリジナル原稿を買い取ってデジタル化したり、研究者への閲覧をするなど博物館として充実させました。
客人が来たときの客間や執筆活動した机や使用していたベッドが、当時のままにて展示されています。父母の絵や小説に出でてくる人物画などが壁にかかり、発行された本やその発行された本に自筆修正を加えたものなどが残されています。また、世界各国で翻訳された本が展示され、日本語での本もありました。他にも、バルザックが実際使用していた印刷機や友人でもあったロダンが作ったバルザックの彫刻などが展示されています。
まとめ
バルザックは長年の愛人であるハンスカ婦人とは1850年3月14日にようやく結婚したましたが、持病が悪化して病に伏し、8月18日ヴィクトル・ユゴーが見舞った夜に51歳の生涯を終えました。遺骨はパリのペール・ラシューズの墓地に埋葬されています。
波乱の多い人生と訪問した数多くの町の様子をたどると、彼の作品に登場する人物や町と重なり合う部分があり、片手に地図・もう一方の手に小説を抱えてのんびりと歩く旅もまた楽しからずやです。
撮る観光案内(ワインの楽しみ方講座)
今回は、世界でも高い評価を得るとともに、日本でも人気の高いフランスワインについてお話します。
ワインの生産量の世界一はイタリア、ぶどうの栽培面積の世界一はスペインです。しかしながら、ワイン作りに適した気候と風土、歴史に根ざした『ワイン文化』、知名度などを考えると、私はフランスワインが一番好きです。
『フランス人は水の代わりにワインを飲む』と言われているように、フランス人の生活と密接に関わるワインの楽しみ方についてご紹介していきましょう。
フランスワインとは?
フランスワインはボルドー地方、ブルゴーニュ地方、シャンパーニュ地方という三大銘醸造地があり、その他にロワール地方、コート・デュ・ローヌ地方、ラングドック・ルーション地方、プロヴァンス地方、アルザス地方という8つの代表的な地方名があります。
ワインというのは英語であり、フランスでは ヴァン(vin)です。よって赤ワインは ヴァン・ルージュ(vin rouge)、白ワインはヴァン・ブラン(vin blanc)となります。
今回は特に、私の勤めるフランス甲南学園トゥレーヌのあるロワール地方(Val de Loire)のワインについて詳しく話していきましょう。
ロワール地方のワインとは?
概要:
フランスの庭園(ヴァル・ド・ロワール Val de Loire)と呼ばれている地域は、フランスの中央部(リヨン方面)を源として一旦は北の方向に流れ、オルレアンから西に方向を変え、ナントの先にて大西洋にそそぐ全長約1000キロを流れている一番長いロワール河の流域にあります。
ブドウは年間の平均気温が10~20度の温暖な地域に育ちますが、ロワール地方はブドウの栽培地としては北に位置するため、環境的には厳しいところです。白ワインと赤ワインの両方が味わえる場所です。
生産地区:
ロワール河の上流から中央フランス、トゥレーヌ、アンジェ・ソミュール、ナントという4つの地区に区分されています。
4つの地区の中でトゥール市を中心に左右に広がったトゥレーヌ地区をご紹介します。
トゥレーヌ地区(Touraine):
左方向(西側):
シノン(Chinon)・・・カベルネ・フランから造られる赤ワイン。ボルドーのワインより色合いがやや薄く、スミレの香りがあるとも言われています。ヴィエンヌ川(この川はロワール河に注ぐ)のほとりにあるシノンという町を中心にした地域。シノンの城は1429年シャルル七世とジャンヌ・ダルクとの最初の出会いの舞台となったところです。
右方向(東側):
ヴーヴレー(Vouvray)とモンルイ(Montlouis)・・・シュナン・ブラン種から造られる白ワイン。酸味が豊富で辛口から甘口までいろいろな種類があります。アンボワーズ城(フランソワ1世とレオナルド・ダ・ヴィンチの舞台)からトゥールにかけてのロワール河岸、北側がヴーヴレー、南側がモンルイという町を中心にした地域。
ボトルの形:
ボルドーのボトルは「怒り肩」ですが、このトゥレーヌ地方のものは赤・白とも「なで肩」で首から胴にかけてなめらかに膨らんでいるボトルです。
ボルドー(赤)
シノン(赤)
ヴーヴレー(白)
ブドウの栽培と収穫
苗木は植えてから3年で実がつきますが、4年目からのブドウがワイン用となります。通常木の寿命は50年と言われており、樹齢15年から30年の間でのブドウからのワインが良質だとされています。
ブドウの苗木を植えると上に伸びていかず地面を這って広がりますが、この地方では垣根仕立てという形態で木の横に杭を立て伸びてきた枝をくくりつけて横に横に伸ばします。
冬と夏に剪定をし、6月に花が咲き9月には収穫できますが、その年のブドウの糖度を検査しながら、収穫のGOサインが出るまで待ちます。機械での収穫は避け、今でも一房一房ハサミで茎から切り落とします。地域ごとでの収穫は一斉にスタートするため親戚だけでは手が足りなくなり、アルバイト学生を動員して朝から収穫し、夕方から夜にかけて絞る作業に入ります。
ワインを飲む前に
以前よりボジョレ・ヌーボー(Beaujolais nouveau)という言葉が広がりました。毎年11月の第3木曜日の午前零時に発売が開始されるということで皆さんも馴染み深い言葉になっていますが、ボジョレというのは最初にお話しました三大銘醸造地ブルゴーニュ地方のもっとも南側のリヨン市に近い生産地域の名前です。ヌーボーとはフランス語で新しいという意味です。その年の早だしワインのことです。日本では有名ではありませんがここトゥレーヌ地方でも トゥレーヌ・ヌーボー があり、その発売の夜は町中でお祭り騒ぎとなります。
秋になり店先ではブドウが並び始めました。今年のぶどうの出来具合が気になります。暖炉で焼き栗をしながら、ワインを片手にくつろぐ静かな時間の流れが楽しみです。
いかがでしたでしょうか?ワインのラベルはそのワインの履歴書になりますので、産地や収穫年などを確かめながら味わってください。日本では今日ご紹介した産地のワインは手に入りにくいと思いますが、インターネットなどを利用して求めるのも良し、機会があればこのトゥレーヌ地方の古城めぐりをしながら、村々の軒先に OUVERTE ウーヴェルト(OPENの意味)と書かれた看板があるので、覗いてみてください。農家では突然の訪問客を歓迎し、CAVE カーヴ(年間平均気温が10度ほどの岩窟に作られた自然貯蔵庫)に案内して、試飲させてくれます。
「gouter s・v・p!」 (グテー シルヴプレ)
「味見させてください!」と、是非言ってみてください。
撮る観光案内(はじめてのTGV乗車講座編)
今回は日本の新幹線にあたるTGVという鉄道のお話をします。
フランス国鉄(SNCF)が運行する高速鉄道の車両であるTGVは高速列車を意味する Train(列車) a Grande(大きい) Vitesse(速度) の略。1981年パリ・リヨン間の南東線が最初に開業され、現在は国内だけではなく、欧州の多くの国へ直通にて乗り入れています。
駅舎とTGV列車
私の勤めるフランス甲南学園トゥレーヌの最寄り駅であるトゥール駅への列車ルートはパリから2通りあります。ひとつはシャルル・ド・ゴール空港駅(1時間45分)から、もうひとつはパリ市内南にあるモンパルナス駅(1時間)からです。シャルル・ド・ゴール空港駅からは郊外の貨物線を走った後、モンパルナスの南にてTGV専用路線に合流し、しばらく車窓からの田園風景を眺めていると、サンピエール・デ・コール駅に到着します。トゥール駅はサンピエール駅から盲腸のように入り込んだ場所にある駅です。
トゥール駅の駅舎はたびたびご紹介していますが、オルセー駅(現在のオルセー美術館)を設計したヴィクトル・ラルーによるものです。終点の駅であり、まるでクロード・モネ作「サン=ラザール駅」という作品のようです。駅には屋根がありますが、ほんの一部。ほとんどが屋根なしの部分であり、長い編成のTGVはほとんどが外です。駅前には噴水があり地下は駐車場になっています。
トゥール駅は「ロワールの古城めぐり」の基点となっています。シュノンソー城、アンボワーズ城、シノン城、ショーモン城、ブロワ城、シャンボール城など、現存する古城は100以上といわれ、軍事目的の城と王侯貴族の城館が混ざり合っています。
列車の乗り方
駅のホーム
トゥール駅の列車時刻掲示板
クロード・モネ作「サン=ラザール駅」
列車を確認してホームへ
自動改札機
列車時刻表示板(Trains au depart)にて乗る列車の時刻・行き先・番線を確認します。
フランスの鉄道駅には改札がありません。ホームには自由に入り込むことができますが、列車に乗るときはきちんと切符を切ってから乗りましょう。
列車表示板にてホームを確認後、黄色いポストを見つけてください。それが自動改札機(compostage de billets)です。乗車する前にかならず切符を差し込み、パンチを入れてください。日本の旅行社で購入された切符であっても同じ扱いです。これを怠って乗車し、車内で車掌検札を受けてパンチされていないと3倍ほどの料金を請求されます。ご注意ください。
列車をみつけたら・・・
列車編成表示板
TGVは全席指定席のため乗るべき号車がどこに止まるのかの確認が必要です。ホームには細長いテレビ画面があります。これが列車編成表示板(composition des trains)です。今自分がどのあたりなのか(ICI=現在地)、列車の号車はどのあたりに停まるのかを示しています。
列車情報を表示するテレビ
まず自分の切符を見て、VOIT(号車)の数字を確認し、表示板を見ます。たとえば 1・2・3号車はA、4・5・6号車はBという表示になっています。ホームの上のほうを見ますと、確かにAとかBと表示されていますのでそのあたりまで移動します。
TGV列車はSIMPLE(1編成)とDOUBLE(2編成)があります。1編成は10両であり、前後に気動車が付いているため12両編成。DOUBLEとなれば24両編成になります。気動車の部分は通り抜けできません。また、フランスは目的地に向けて途中でこの編成を切り離すことがあるので、必ず指定された号車に乗らないととんでもないところに行ってしまうこともあります。
乗車する
TGVの乗降車口は前後の2箇所、大きな荷物置き場は入り口横にあります。
鉄道に興味のある方はTGV列車の台車も見てください。気動車は前後に台車がありますがその他は連結器の下に台車があるという連接台車であり、転がり抵抗を減らしています。日本にはない形です。
車内
自分の座席を探す
いよいよ指定された座席番号を目指し移動しますが、自分の座るべき席にしっかりと座っている人がいるということがあります。日本では理解しにくいことなので、人のいい日本人は声もかけられずにうろうろ。このような場合にはしっかりと自分の指定席券を示し、「この席は私のです。C'est ma place.セ マ プラス。移動してください。Bougez-vous de la.ブジェ ヴ ドゥ ラ」と、はっきり言いましょう。フランスでは" 空いていたから座っていたんだ "という感覚。
座席の様子
ようやく座席に座り、ほっと一息。荷物棚のほうに目を上げてまたびっくり。前のほうの人としっかりと目があっているではありませんか?棚の下がすべて鏡になっているのです。
じっくり見てみれば、誰も眠ってなんかいません。なぜこんな風に鏡になっているのだろう?
盗難の多いフランスでは自分を守るひとつの形であるのでは?と、納得したしだいです。
いよいよ出発
発車のベルは鳴りません。あるとすれば駅員の笛のみです。 しっかりと時計見ながら行動しなければ、と思うのですが、日本のように出発時間もかなり大雑把ですので十分に注意。
車内では・・・
車内では車掌による検札があります。飲み物や食べ物などのワゴンセールスはありません。食堂車も形のみあり、サンドイッチと飲み物程度です。もちろん金額は高いです。乗車前にしっかりと買って置きましょう。
しっかり確認!
車内放送もほとんどなく、下車駅近くになると何分後にどこの駅に着くかという放送がありますが、なかなか聞き取れません。列車がホームに滑り込んでも、駅名の看板も数が少ないので、かなり戸惑います。
要するに「自分の目で確かめて乗り、車内では寝ず、停車駅もしっかり確認」。
乗車券 見方を覚えておきましょう

いかがでしたでしょうか?日本の列車とは異なることも多く、戸惑うこともあるでしょうが、TGVに乗ることで、行動範囲は格段に広がります。
フランス=パリというイメージから脱し、TGVに飛び乗って、いろいろなフランスの楽しみ方を見つけてください。
では、良い旅を! Bon Voyage!
撮る観光案内(アンボワーズ編)
今回ご紹介するのは私の勤めるフランス甲南学園トゥレーヌから程近い場所にあるアンボワーズについてご紹介します。
アンボワーズは絵画のように美しい街として、観光客だけでなくフランスの人々からも愛されています。街を横切るロワール河には、古くから橋がかけられ、商業・交通の要所として栄えてきました。
また、アンボワーズはかの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチが最後の時を過ごした地としても有名です。
さて、これから皆さんにアンボワーズ観光へご案内いたしましょう!
アンボワーズ城
本校よりロワール河を車でさかのぼること30分。橋を渡り、中洲から眺めて見ると川向こうには舞台の風景画から飛び出したような城が見えます。 このアンボワーズ城は、ロワール河を見下ろす小高い丘に建っており、シャルル7世、ルイ11世、シャルル8世、フランソワ1世ら国王たちが過ごし、カトリーヌ・ド・メディシスが頻繁に訪れた由緒ある城です。
橋を渡ると城の入口下にでます。このあたりはレストランやカフェ、売店が軒を連ねる賑やかな場所になります。 中世の城下町の雰囲気を楽しむも良し。お土産のワインを選んだり、カフェで一息ついたりぶらぶら散策するのも楽しいですよ。 チョコレートで有名な「BIGOT」で一休みするのが特にお勧めです。
入り口上にはレオナルド・ダ・ヴィンチが眠っているといわれているサン・ユベール礼拝堂が見え、さらに右手を見ると家をまたいでの時計台があります。
入場して階段を上ると、中庭と王の居館が目の前に広がります。
実はこのお城、幽霊が出るという噂があるんです!低い戸口にゴツンと頭を打って亡くなったシャルル8世が、観光客に「気をつけて!」と忠告してくれるという話なんですが、親切なのか迷惑なのかわからないですね。(笑)
城の上からは素晴らしい景色がひろがっています。今登ってきたみやげもの店の方を見ると家々の屋根が見えます。ロワール河にかかる美しい橋も見えて、天気がいい日は最高の眺めです。
ユネスコ世界遺産にも登録されているこのお城、是非とも実際の目でご覧いただきたい場所です!
クロ・リュッセ(レオナルド・ダ・ヴィンチの館)
アンボワーズ城の右側にある坂道を登って行くと、レオナルド・ダ・ヴィンチが亡くなるまでの3年間を過ごしたクロ・リュッセがあります。1516年にフランス王フランソワ1世は、専属画家・建築士としてイタリアからダ・ヴィンチを招き、この館を与えました。
彼はイタリアから3点の傑作、「モナリザ」「聖アンナと聖母子」「洗礼者聖ヨハネ」を抱えて、アルプスを越えてきたといわれています。
クロ・リュッセとアンボワーズ城は地下通路でつながっていて、フランソワ1世はたびたびダ・ヴィンチに会いに行ったとのことです。
ダ・ヴィンチは、1519年5月2日67歳で亡くなるまでの間、ここでも多くの発明品を残しました。現在、このクロ・リュッセには、その発明のいくつかが模型で展示されています。
塀で囲まれた門を入ると右手に館があり、館の前には広い庭が広がっています。2 階にはレオナルド・ダ・ヴィンチの寝室が復元されており、使用していたベッドがあります。
臨終の際にはフランソワ1世が看取ったと言われていますが、実際にこのような場面があったかどうかは定かではありません。
なお、この寝室は画家アングルの絵画にも登場しました。
「レオナルド・ダ・ヴィンチの死」1818年頃
さすがはワインの国フランス。
周辺はワイン用のブドウ畑が広がっていて、豊かな緑に囲まれています。
さて、ほんの一部しかご紹介していませんが、この美しいロワール河岸の街アンボワーズはいかがでしたか?
古城で悠久の歴史に思いを馳せる贅沢なひと時を、是非皆さんにも味わっていただきたいと思います。
【アンボワーズへの道のり】
パリのモンパルナス駅からトゥール駅まではTGVで1時間
トゥール駅からアンボワーズ駅までは普通列車で20分
駅からアンボワーズ城までは徒歩で10~15分程です。
撮る観光案内(パリ編)
今回ご紹介するパリは、フランスの政治・経済・文化の中心であり、「華の都」として知られる美しい都市です。
東京の山手線の内側とほぼ同じ大きさのパリの街並みは、随所に中世ヨーロッパの建物があり、歴史を感じさせます。
セーヌ川によっておおよそ南北に分断されていて、北側を右岸(リヴ・ドロワット)、南側を左岸(リヴ・ゴーシュ)と呼びます。
また町の東西には、東にヴァンセンヌの森、西にブーローニュの森という大きな緑地があり、世界規模の都市が、うまく自然と共存している姿を見ることが出来ます。

さて、まず見出しで使用した写真の説明から。
皆さんもよくご存知の凱旋門です。
一般に「凱旋門」と呼ばれる建築物は「エトワール凱旋門」のことを指します。
「凱旋門」は、直訳が「戦勝のアーチ」であることでも分かるように、戦争の勝利を記念して立てられたもので、「エトワール凱旋門」以外にもたくさんの凱旋門があります。
エトワール凱旋門は、1806年、オステルリッチの戦いで勝利を収めたナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まり、ルイ・フィリップの王政時代の1836年に完成しました。
夜になると写真のようにライトアップされるのですが、シャンゼリゼ通りなどの周囲の通りに比べると、とても控えめな光で照らされています。(この写真はシャンゼリゼ通りを背に撮影しています)
オレンジの淡い光に浮かび上がる凱旋門は、華やかさというよりは、荘厳さと寂寥感を感じ、見るたびに歴史の重みに胸が熱くなります。

また、夜に違った顔を見せてくれるのは凱旋門だけではありません。
左の写真はエッフェル塔です。
マドレーヌ寺院近くのホテル最上階のベランダから撮影したもので、手前にはグラン・パレの科学博物館部分が写っています。
このエッフェル塔はパリ万博(1900)に向けて約26ヶ月かけて建造されました。当初は万博終了後、取り壊す予定でしたが、パリ市民の強い要望で残すことになり、今ではパリのシンボルの1つとなっています。
夜になると、ライトアップされ、幻想的な姿を見せてくれるエッフェル塔。
実は、毎時00分から2分間、特別なイルミネーションが点灯します。
どんな風に点灯するか、ここには載せません。皆さんの目で確かめて、すばらしい感動を手に入れてください!
続いて、お勧めスポットの紹介に移りましょう。
オルセー美術館
オルセー美術館は、エッフェル塔と同じくパリ万博にあわせて作られました。オルレアン鉄道の始発駅「オルセー駅」として建造されたものの、当初の目的である長距離列車のターミナルとしては手狭で不便だったため、近距離列車専用駅として改装されると同時に、ホテルや19世紀の美術品を展示する美術館として生まれ変わることになったのです。
このオルセー駅は、建築家ヴィクトル・ラルーによって設計されました。ヴィクトル・ラルーは、撮る観光案内!(トゥール編)でご紹介したトゥール駅を設計した人間でもあります。
建築はトゥール駅のほうが先で1898年になります。同じ建築家の設計として比べてみるのも楽しいですよ!
右の写真は、オルセー駅の設立当初から設置されている大時計で、当時の面影をしのばせるものとなっています。
ノートルダム大聖堂(ノートルダム寺院)

フランスカトリックの総本山、ノートルダム大聖堂を、裏側のアルシェヴィシ橋で撮影したものです。
ノートルダム大聖堂は中世ゴシック建築の傑作といわれ、1345年に完成しました。
1445年にはジャンヌ・ダルクの再審や、1804年にはナポレオンの戴冠式が行われるなど、数々の歴史の舞台となっています。
なぜ、わざわざ裏側の写真を載せているかというと、このあたりは古い絵や写真を売る露天が立ち並び、フランスらしい雰囲気を味わうにはもってこいの場所だからなんです。
思わぬ掘り出し物に出会えるかもしれませんよ(笑)
貸し自転車スタンド「ベリブ」

最後は、オススメの場所ではなく、オススメの手段を紹介します。
ベリブ(Velib)は、2008年7月15日に大規模な貸し自転車事業として開始されました。
Velo自転車とLiberte(自由)の合成語で、地球温暖化対策や環境保護のために、自転車利用を推進する役割を担っています。
1日パス・1週間パス・1年間パスがあり、パリ市内各所にあるスタンドで返却すればいいので非常に便利です。
しかも1日パスは1ユーロ!1コインで乗り放題です!
ゆっくりと気の向くままパリを眺め、気になったところがあれば、すぐに足を止めれる自由さは1度経験すると、病み付きになること間違いなしです。
さて、皆さんいかがだったでしょうか?
一口にパリとはいっても、今回ご紹介できなかった場所はたくさんあります。
自分自身の楽しめる場所や、楽しみ方を見つけてくださいね。
それではまたお会いしましょう!
撮る観光案内!(トゥール編)
私の大好きな古城巡りにも便利な町、トゥール。
パリ・モンパルナス駅からからTGV(※1)で1時間と便も良く、旧市街には中世の木組みの町並みも残り歴史を感じることができます。
今回は、トゥール駅を中心に、町の主要な建物を紹介します。

ロワール地方の中心都市トゥールは、パリからは220キロ南西に位置し、TGVでは1時間の距離にあります。アンドル・エ・ロワール県の県庁所在地であり、文豪バルザックの生誕地でもあります。
中世の城が周囲に数多く残っているため、ロワール古城めぐりの基点として人気の観光スポットです。
また、トゥール大学・トゥール高等商科大学があり、フランス語を学ぶ人が世界中から語学学校に集まる学生都市としても賑わいを見せています。
トゥール駅
1898年の開業。後にオルセー駅(現オルセー美術館)の建設に携わることになる建築家ヴィクトール・ラルーの設計で建てられました。
TGVという列車で北はパリ市内およびパリシャルル・ド・ゴール空港方面、南はボルドー方面と結んでいます。パリ・モンパルナス駅からは1時間、シャルル・ド・ゴール空港駅からは1時間45分の距離です。
ウイルソン橋
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サンシール市側からウイルソン橋を撮ってみました。目の前を流れるロワール河はリヨンを源にして西の大西洋にそそぐフランスでもっとも長い河です。流れはゆったりとしていて、周囲に古城が点在しています。また赤と白のワインの産地としても有名です。
トゥール大学
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学生都市としての一面を持つトゥールでも有数の由緒あるトゥール大学。トゥール大学はフランソワ・ラブレー大学といい、フランス・ルネッサンスを代表するラブレー(1483~1553)の名前で、手前のロータリーの脇には銅像があります。
また、甲南大学との交換留学先になっています。
トゥール市役所
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トゥール市は四国高松市と姉妹都市を結び、2008年で20周年を迎えました。市役所の隣には裁判所があり、目の前のジャンジョレス広場には美しい花と噴水があり、多くの市民が行き交っています。
歴史を感じさせる堂々とした建物で、日本との違いを感じずにはいられません。
サンガシアン大聖堂
一番左はトゥール美術館前の公園から、サンガシアン大聖堂を撮ったものです。
サンガシアン聖堂は迫力あるゴシック様式の大聖堂で12世紀から16世紀まで長い時間をかけて建てられました。真ん中の写真はサンガシアン聖堂内の祭壇を撮ったもの、一番右は祭壇のステンドグラスをアップで撮ったものになります。細かく作りこまれたステンドグラスはいつまで見ても飽きません。

さて、皆さんいかがだったでしょうか?
今回は、町の中心街を主にご紹介させていただきましたが、トゥールの魅力はまだまだたくさんあります。
最後に見出しの画像に使った写真の説明をしましょう。
これは、かの有名なジャンヌダルクが甲冑をしたためた店の跡です。
1429年3月ジャンヌダルクはシノン城にて王太子シャルル(シャルル七世)と初めて会い、ここトゥールにて甲冑をしたため、東のオルレアンにてイギリス軍との激しい戦いをして、フランス軍に勝利を導きました。
1428年10月12日から続いた戦いは1429年5月8日包囲をとき、勝利したジャンヌダルクは大喝采を浴びたのです。
機会があれば、旧市街の町並みや、世界各国の学生たちの交流、歴史ある古城の紹介など、別のトゥールの魅力をお伝えさせていただきます。
それではまたお会いしましょう!
※1
《Train à Grande Vitesse》の略。フランス国鉄 (SNCF) が運行する世界最速列車。
リュック・ベッソンが製作・脚本を、ジェラール・クラヴジックが監督を担当し、2003年に公開された『TAXi3』で、主人公ダニエルの運転するタクシーが追い抜くシーンでも有名。




