歴史

ロワールの城めぐり ブロワ城

ロワールの古城めぐりの基点「TOURSトゥール」から、のんびりとお城めぐりはいかがでしょうか?
参考:トゥールにはTGV利用し、パリモンパルナス駅から1時間、パリCDG空港駅からでも1時間45分です。トゥール駅正面噴水の先に観光案内所がありますので詳しくは尋ねてください。

BLOIS ブロワ城

場所:

TOURS市内から東方向55キロ、車で約1時間。高速道路を使うならばA10にてオルレアン方面に向かうことも可能。以前にご紹介したロワール河を遡る河の北側の道路を使うと、アンボワーズ城を過ぎショーモン城を過ぎたところにブロワという町があります。 駐車場はいたるところにあるので、車から降りて街をぶらぶらと歩き、城までの散策が良いです。また、城の裏手にも回るとそそり立つ城壁があり、なかなか見ごたえがあります。

列車ではトゥール駅からORLEANSオルレアン行きに乗ります。たとえばトゥール駅9:04→ブロア駅9:46、帰りはブロア駅16:16→トゥール駅16:53には到着です。30分に1本ほどの列車はあります。時刻表は駅内の切符売り場にて無料で手に入りますので確認してください。ブロア駅から城まではまっすぐの道路で非常に近いです。

ロワール河の右岸(北側)にあり、オルレアンとトゥールの中間点に位置します。ロワール河を見下ろす丘の上、起伏のあるところに街並みと城があります。

歴史:

古くから交通の要であったブロアは中世の時代は封建領主ブロア伯爵が領土としていた。12世紀初頭にはイギリス王家と姻戚をもち、英国王も出すほどの力があった。しかし、12世紀後半からブロワ家は次第に勢力を失い、14世紀末には領土をシャルル6世の弟ルイ・ドルレアン公爵に売却し、フランス王家の所有となった。
1498年ルイ・ドルレアンの孫ルイ12世が即位し、宮廷がブロアに移された。この時からこの城はフランソワ1世からアンリ3世までの6名の王の居城となる。
1577年アンリ3世は全国三部会を開き、その後1588年10月16日にも三部会が開催された。
歴史的に残る話は「ギーズ公の暗殺」です。総代官のギーズ公爵は国王アンリ3世を廃位させようとしていた。1588年12月23日王は会議のためにギーズ公をブロワ城に出頭させ、執務室に赴くように刺客を通して伝え、刺客はギーズ公を暗殺してしまった。
クリスマスの日にもギーズ公の兄弟ロレーヌ枢機卿も殺させてしまった。

建物内部:

13世紀から17世紀にかけてたびたび増改築が行われ、ゴチック様式からルネッサンス様式、古典様式と各時代の建築様式を眺めることができる。城の入り口は赤レンガと白い石枠造りのルイ12世翼棟の後期ルネッサンス様式。入り口上にはジャンヌ・ダルクのモニュメントがあります。



中庭に入って右にはルネッサンス様式のフランソワ1世翼棟があり、特に張り出した八角形の螺旋階段は傑作のひとつである。正面は17世紀前半に建てられたガストン・ドルレアン翼棟があり典型的な古典様式である。
フランソワ1世翼棟の3階にはギーズ公が暗殺された部屋があります。その時の様子は壁にかけられた絵画からうかがうことができます。
その他三部会の部屋、アンリ3世の部屋、フランソワ1世の象徴であるサラマンダー(火トカゲ)の暖炉、カトリーヌ・ド・メディシスの寝室やカトリーヌ・ド・メディシスの部屋には羽目板に隠し戸棚があるなど見どころはたくさんあります。



ロッジアのファサードは裏手のヴィクトル・ユゴー広場からの眺めが素晴らしいです。



時間に余裕のあるときは:

城を中心にした街並みを散歩するのも良いのですが、ロワール河に出て、橋を渡って対岸に行き、ロワール河越しに見る対岸のブロワ城の眺めもまたいいものです。



tajima.jpg 田島 正利 (たじま まさとし)

海外留学の経験を生かし、お勧めのフランスの町や古城をご案内します。




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ロワールの城めぐり シノン城

ロワールの古城めぐりの基点「TOURSトゥール」から、のんびりとお城めぐりはいかがでしょうか?
 参考:トゥールにはTGV利用し、パリモンパルナス駅から1時間、パリCDG空港駅からでも1時間45分です。トゥール駅正面噴水の先に観光案内所がありますので詳しくは尋ねてください。

CHINON シノン城

場所:

TOURS駅から西南方向40キロ、車で約1時間。ひたすらまっすぐな道が続いています。 以前にご紹介したアゼ・ル・リドー城を過ぎ更に西に行ったところです。


列車ではトゥール駅からCHINONシノン行きに乗ります。
たとえばトゥール駅9:09→シノン駅9:52、帰りはシノン駅15:16→トゥール駅15:59。1時間に1本ほどの列車はあります。時刻表は駅内の切符売り場にて無料で手に入りますので確認してください。

TOURSの南西 LA VIENNE(ヴィエンヌ)川沿いに位置します。城内部の見学は崩れ落ちた部分が多いので、南側のヴィエンヌ川を渡ったところから振り向いてみる城は見ごたえがあります。

歴史:

古代ローマ時代から城塞が築かれていた高台に最初の城を築いたのは10世紀の諸侯ブロワ伯テオバル。1152年プランタジネット家の英国王でもあったヘンリー2世によって現存の城が築かれた。1205年フィリップ・オーギュストの手になり、国王の居城となった。シャルル7世がこの城をさらに強化していったが、15世紀末には宮廷はこの地を去り、その後は荒廃していった。現在廃墟となって残っている大部分は当時のままである。

建物内部:

1429年3月ジャンヌ・ダルクが初めて王太子のシャルル7世に会ったのはこの城の大広間であった。廃墟となった城の一角にはその大広間の暖炉跡があり記念碑がその横に貼り付けられています。ジャンヌ・ダルクはトゥールで甲冑をしたため、オルレアンへと向かい、1529年5月8日イギリス軍を退去させた。この時の攻囲戦は沈みそうになった国家を救い国民の再生への出発点になったというフランスにおいて大きな歴史のエピソードとなっています。
防御用のサン・ジョルジュ要塞、クードレー要塞、国王の居室、時計塔、庭園などを見学できる。

見学コース:

シノン駅から城まではヴィエンヌ川に沿ってデカルト通りからジャンヌダルクのモニュメントを見てジャンヌ・ダルク通りを歩きラブレーのモニュメントもあります。カルノ通りという橋を左に折れて渡る。振り向くと対岸の高台に城塞の姿を見ることができる。カヌーの盛んなところであり、練習している姿を見ながらその向こう側に広がる古い城壁とその下にある住居がすばらしい眺めです。もう一度橋を渡って戻り、左に折れ、シャルル7世通りを歩き、T字路を右に折れフランソワ・ミッテラン通りという坂道を登ると城の入り口に着きます。



城内へは堀にかけられた石造りの橋を渡り、時計塔の真下の門をくぐると右にチケット売り場です。城壁は長さ400メートル幅70メートルの細長い四角形です。深い堀で三つの要塞(サン・ジョルジュの要塞、中央の城、クードレー要塞)に分かれています。   城内見学後は眼下の曲がりくねった小路に中世の家屋が並ぶ旧市街をのんびりと歩きましょう。中世とルネッサンスの面影を保持しています。ワイン博物館もあり、カーブという洞窟内のワイン用自然貯蔵庫も見てみましょう。



時間に余裕のあるときは:

フランソワ・ラブレーを追ってみてはどうでしょうか。 シノンのランプロワ街にて弁護士の息子として1483年頃に生まれ、シノンから南西に8キロ行ったラ・ドヴィニエール(la Deviniere)村にある父の田舎家で暮らしました。ここはラブレー博物館となっており、建物は15・16世紀のルネッサンス式の家です。1930年から国の歴史的建造物の指定を受けました。書斎・寝室などを眺めたり直筆で書かれた原本や刊行作品、またマティスによって描かれた肖像デッサン画もあります。
ラブレーはモンペリエで医学を修め、リヨンで開業医となるが、「ガルガンチュアとパンタグリュエル物語」の作者でもあり、主人公のガルガンチュアは大酒のみであり、シノンの酒蔵で何杯もワインを飲み干すシーンが滑稽な文体で描かれている。国内外を転々とするが、1550年フランスに戻る。1553年消息不明になったが、近年になって遺産相続記録が発見され、この年に死去していたと確認された。70歳と考えられるため、1483年生まれであると考えられる。

ラブレーの銅像は トゥール市内にもあります。ロワール河沿いにあるトゥール大学手前のロータリー脇にあります。

*歴史ある城と古き街、また作家でもあるラブレーの作品を追ったり、シノンの赤ワインを堪能して想いをめぐらせてください。


tajima.jpg 田島 正利 (たじま まさとし)

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ロワールの城めぐり ショーモン・シュール・ロワール城

ロワールの古城めぐりの基点「TOURSトゥール」から、のんびりとお城めぐりはいかがでしょうか?
参考:トゥールにはTGV利用し、パリモンパルナス駅から1時間、パリCDG空港駅からでも1時間45分です。
トゥール駅正面噴水の先に観光案内所がありますので詳しくは尋ねてください。

CHAUMONT-SUR-LOIRE ショーモン・シュール・ロワール城

場所:

CHAUMONT-SUR-LOIRE ショーモン・シュール・ロワール城 TOURS駅から東方向40キロ、車で約50分。ロワール河を上りアンボワーズ城の先、川を挟んで城が見えてきます。
鉄道にて行くことも出来ます。ORLEANSオルレアン方面行きにてONZAINオンザン駅にて下車です。駅からは徒歩で30分ほどですが、ロワール河の対岸の丘の上に見える城は優美な姿であり、川沿いに並ぶ民家とのマッチングにしばし、足を止めざるをえません。
時刻表を見てみます。たとえばトゥール駅9:04→オンザン駅9:35、帰りはオンザン駅12時代13時代15時代があり、トゥール駅行きになります。切符は駅内の切符売り場にて購入できますが、前日までに購入されることをお勧めいたします。

歴史:

CHAUMONT-SUR-LOIRE ショーモン・シュール・ロワール城 10世紀の頃 ブロワ伯ユドー1世がアンジュー公フルク・ネラの攻撃から守るために建てた要塞がショーモン城の始まりです。12世紀からアンボワーズ家の所有となり、第2代領主ユーグ・ダンボワーズは石のドンジョンを築きあげ15世紀まで王家にとっては最も重要な場所となります。
12世紀には取り壊し後再建され、13・14世紀と時代が流れ、ルイ11世に対する大貴族の反乱「公益同盟」に巻き込まれ、王はこの城を焼却して取り壊し、土地を没収したが、1466年ピエール・ド・アンボワーズは古い要塞を再構築することを決定し着手。1473年からはシャルル1世が工事を引き継ぎ1481年まで続けられました。シャルル1世の後継者で彼の甥であるシャルル2世は1501年ミラノ総督となるため城を譲らねばならなくなった時、枢機卿はショーモンに居を構えました。その後多くの建物が整理されてしまい、特に中世時代の要塞としての建物は残っていません。

CHAUMONT-SUR-LOIRE ショーモン・シュール・ロワール城 1560年アンリ2世の妻のカトリーヌ・ド・メディシスが城を買い取り、多数の占星術者を滞在させた。ノストラダムスがこの城でカトリーヌに未来の情景を映し出す鏡を見せ、ヴァロワ朝の終焉が近い事を知らせたと言う話は有名ですが、ノストラダムスがショーモン城に滞在したかどうかはわかりません。
アンリ2世の死後妻であるカトリーヌはシュノンソー城をアンリ2世の愛人であるディアーヌ・ド・ポワチエから奪い返そうとします。カトリーヌはディアーヌをシュノンソー城から追放してショーモン城に移しました。
ディアーヌはショーモン城の修復工事に取り掛かり、自身の頭文字を組み合わせた紋章を飾らせたりもしました。しかし、ディアーヌはこの城にはほとんど滞在することがなく、1566年の亡くなるまでには工事は完成しませんでした。未完成の部分における工事の再開は18世紀に入ってからでした。
19世紀の初めにナポレオンにより亡命を命じられたスタール夫人(批評家・小説家)がパリから移り住んだところでもあり、1810年の作品「ドイツ論」の中ではショーモン城での滞在にも触れています。
1875年からは大富豪の娘であるセイがブログリエ家と婚姻関係を結んだ際にショーモン城を購入した。財の限りを尽くして城を豪華な館に改造させ、毎日饗宴を開いていたが、1929年の破産後1938年に国が17ヘクタールの庭園と城を買い取りました。

建物内部:

CHAUMONT-SUR-LOIRE ショーモン・シュール・ロワール城 入り口は大きな跳ね橋にあり、建物はコの字型になっています。外観はやや質素に見えますが、城内には財の限りを尽くした美しいタピスリーや、16・17世紀の調度品や甲冑、18世紀のイタリア人アーティストによるテラコッタ製メダルコレクションなどが見られ、カトリーヌやディアンヌの部屋も残っています。
城から見る眼下のロワール河も良いですが、その向こうに見える広大な景色素晴らしいです。また、城手前の敷地内には別棟の厩舎があり、鞍具置き場や馬の調教場所として使われた円形の建物もあるので是非ゆっくりと眺めてください。

CHAUMONT-SUR-LOIRE ショーモン・シュール・ロワール城 CHAUMONT-SUR-LOIRE ショーモン・シュール・ロワール城

tajima.jpg 田島 正利 (たじま まさとし)

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ロワールの城めぐり シュヴェルニー城

ロワールの古城めぐりの基点「TOURSトゥール」から、のんびりとお城めぐりはいかがでしょうか?
参考:トゥールにはTGV利用し、パリモンパルナス駅から1時間、パリCDG空港駅からでも1時間45分です。
トゥール駅正面噴水の先に観光案内所がありますので詳しくは尋ねてください。

CHEVERNY シュヴェルニー城

場所:

CHEVERNY シュヴェルニー城 TOURS駅から東方向72キロ、車で約80分。ロワール河を上りアンボワーズ城の先、さらにショーモン城からブロア城を通りやや南側に向けて移動するとシュヴェルニー城が見えてきます。シャンボール城の手前になります。
狩猟のメッカとして知られるソローニュの森のはずれに建つ優美な館です。

歴史:

CHEVERNY シュヴェルニー城 旧家ユロー家は1340年から1812年までブロワの上流の土地を所有していました。1504年ジャック・ユローはシュヴェルニーの土地を取得します。その息子ラウルはルイ12世から要塞化された城を築くことを許されます。その後ラウルはイタリアで亡くなり、シュヴェルニーをアンリ2世の礼拝堂付司祭に売却しました。1551年司祭は国王の愛人ディアーヌ・ド・ポワチエに譲りました。ディアーヌは1565年まで所有、その後ラウル・ユローの息子たちに再び売却することに同意しました。領地はアンリ3世・4世の下で大法官になったシュヴェルニー伯フィリップ・ユローの手に入ります。しかし、息子のアンリは服毒自殺や処刑という悲劇の舞台となってしまったこの城を取り壊してしまいました。
その後アンリの2番目の妻マルグリットは新しい城の建設へ意欲を燃やし、1604年から1634年にかけて建てられたのが現存するシュヴェルニー城です。城の完成後1635年マルグリットは亡くなり、1648年アンリも亡くなります。 売却・取得と時代は過ぎ、1825年シュヴェルニーはヴィブレイ侯、アンヌ・ドニ・ユローが再び取得します。それ以来、城は一族の所有になります。

建物内部:

CHEVERNY シュヴェルニー城 現在も個人所有であるが、1922年から一般公開されました。
正面の建物の構成は中央棟をはさんで両側がシンメトリックになっています。ファサードは南西28キロのブーレ特産の石材で作られており、時がたつにつれて白く、固くなる性質を持っています。
内部はなかなか見ごたえがあります。食堂ひとつとっても天井の梁にも装飾が施され、壁・暖炉・調度品など時間をかけて見てください。階段もルイ13世様式の直線階段、武具の間、王の寝室、伯爵夫人の肖像画、コブラン織りのタピスリー、居室には17世紀から19世紀までの家具類などがあります。

CHEVERNY シュヴェルニー城 CHEVERNY シュヴェルニー城

ベルギーの漫画家エルジェによって描かれた漫画 TINTINタンタン は日本でも紹介されていますが、主人公タンタンの親友ハドック船長が「レッド・ラッカムの宝」で手に入れ、その後住まいとなったムーランサール城はこのシュヴェルニー城がモデルとなりました。城の内部にはタンタンの常設展があり、本の中に出てくるサメの形の潜水艦(サメマリン号)や作中の場面紹介がされています。

CHEVERNY シュヴェルニー城

伝統のひとつである狩猟は王者が愛好し、馬に乗り犬に追わせるという伝統的な儀式を今も伝えています。別棟には犬舎がありフォックスハントとポワトヴァンの交配種が70匹ほど飼われています。その隣棟にはおよそ2000頭の鹿の角が展示されており、1850年以来のシュヴェルニーの狩猟の歴史がうかがえます。

近隣:

城の周りはのどかな田園風景とこじんまりした村です。シュヴェルニーの白ワインも一味あるかと思います。

tajima.jpg 田島 正利 (たじま まさとし)

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ロワールの城めぐり アゼ・ル・リドー城

ロワールの古城めぐりの基点「TOURSトゥール」から、のんびりとお城めぐりはいかがでしょうか?
参考:トゥールにはTGV利用し、パリモンパルナス駅から1時間、パリCDG空港駅からでも1時間45分です。
トゥール駅正面噴水の先に観光案内所がありますので詳しくは尋ねてください。

AZAY-LE-RIDEAU アゼ・ル・リドー城

場所:

TOURS駅から西南方向23キロ、車で約40分。駅前からバスにて行くことが出来ますが、本数が限られていますので要注意。CHINONシノン行きです。たとえばトゥール駅前9:15→アゼ・ル・リドー10:05、帰りは11時代13時代15時代があります。切符は駅前のバス専用の案内所または駅内の切符売り場にてお尋ねください。

TOURSの南西 L'INDRE(アンドル)川沿いに位置します。本校からもほぼ同じ距離に位置します。アンドル川の川面に浮かぶ城はとても美しいです。

AZAY-LE-RIDEAU アゼ・ル・リドー城 AZAY-LE-RIDEAU アゼ・ル・リドー城

歴史:

AZAY-LE-RIDEAU アゼ・ル・リドー城 徴税官でありトゥールの市長であったジル・ベルトロの父マルタン・ベルトロ(ルイ11世やシャルル8世の宮内財務官)は15世紀末頃、この領地を購入しました。これは12世紀にはリデル殿が所有していた土地で地名は彼に由来しています。アンドル川の浅瀬を見下ろす要塞化されたドンジョンが現在の塔の辺りに立っていました。
1418年裏切りによってパリを奪取し、国王シャルル6世を捕らえたイギリス・ブルゴーニュ側から王太子シャルルは1年来逃れていました。ブールジュに避難していた王太子は、ベリー、オルレアネ、トゥレーヌの諸地方を制し、悲劇的に狭められた王国を、軍隊と共に遍歴しつつ、絶えず馬に跨っていました。アゼーに立ち寄った時、要塞が閉じられているのに気がつきました。ブルゴーニュ側に同盟する隊長と350人の兵士が巡回路から罵倒してきた。後のシャルル7世は隊列をとめ、ドンジョンを攻囲し、奪取しました。守備隊は全員絞首刑にされ、村と城は焼かれました。
ジル・ベルトロは1518年相続し、1527年にかけて建造されました。1529年亡くなると城は接収されアントワーヌ・ラファンに与えられました。
多くの一族が受け継ぎ、最後はビアンクール侯爵家で、1789年から1899年まで4世代が住み、城の維持と修復に配慮しました。
文豪バルザックはこの城の近くのサッシェに滞在し、たびたびこの城を訪問し、舞台背景としてこのアンドル川の谷や美しい領地からインスピレーションを受けています。
1905年国が城を取得し、維持と修復が行われています。

建物内部:

AZAY-LE-RIDEAU アゼ・ル・リドー城 建築は15世紀のフランス様式で初期ルネッサンス芸術の完璧な例を示し、屋根・窓・門扉などに特徴が見られます。
装飾はイタリア風であり、屋根の装飾切妻・柱・まっすぐな手すり水平の踊り場のある階段などに見られます。
内部では食堂のフランス様式の天井、フランソワ1世の寝室の暖炉、王と王妃が向き合う横顔の肖像がはめ込まれた階段の天井、大広間のルネッサンス様式の暖炉、青の寝室、16・17世紀のフランドルのタピスリーなど多くのコレクションがあります。

休憩:

AZAY-LE-RIDEAU アゼ・ル・リドー城 城の内部を見学し、外に出ましたら、右方向に移動し、広い庭にてしばし芝生に座って眺めてください。引き込まれた川面に浮かぶ城、左右対称の建物、周りの木々、青い空に白い雲をのんびりと味わうと、きっとバルザックもこんな風にしてインスピレーションをわかしていたのかなーと想いにかられました。

AZAY-LE-RIDEAU アゼ・ル・リドー城

3月末には枯葉を落とした木々の枝の向こうに城が見え、5・6月にはすっかり新緑の木々となり、季節により楽しみ方はいろいろです。

AZAY-LE-RIDEAU アゼ・ル・リドー城
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ロワールの城めぐり ヴィランドリー城

ロワールの古城めぐりの基点「TOURSトゥール」から、のんびりとお城めぐりはいかがでしょうか?
参考:トゥールにはTGV利用し、パリモンパルナス駅から1時間、パリCDG空港駅からでも1時間45分です。
トゥール駅正面噴水の先に観光案内所がありますので詳しくは尋ねてください。

VILLANDRY ヴィランドリー城

場所:

VILLANDRY ヴィランドリー城 TOURS駅から西方向15キロ、車で約30分。
TOURSの南西 CHER(シェール)川沿いに位置します。この地からシェール川の上流東に45キロほどには有名なシュノンソー城があります。シェール川はこのヴィランドリー城の西にてロワール河に合流し、大西洋に注ぎます。
本校からは南西約14キロに位置します。

歴史:

VILLANDRY ヴィランドリー城 ここは14世紀に建てられコロンビエという名の封建時代の城でした。
16世紀初頭、フランス王フランソワ1世に仕え、軍司令官や財務大臣を務めたジャン・ル・ブレトンによって、もとのドンジョンのそばに新しくヴィランドリー城が着工され、1536年にルネッサンス様式の城が完成しました。ル・ブレトンはイタリア大使であった頃、ルネッサンスの造園技術を熱心に学び、この城を造るにあたっては現在のドンジョン以外は全て取り払われました。
ル・ブレトン家が約2世紀に渡って所有していたが、1754年プロヴァンス出身のカステラーヌ公爵の所有になり、庭も含めて改築・改造しました。
フランス革命の際、革命政府によって没収され、19世紀初頭皇帝ナポレオン1世の所有になり、兄のジョゼフ・ボナパルトに与えられました。
城が破壊された状態になっていた1906年、スペイン生まれのヨアキム・カルヴァロが城を購入。科学者・医者であるカルヴァロ博士は16世紀の城の修復と庭園の再現に専念し、世界的にも最も美しいルネッサンス式の庭園が出来上がりました。現在の所有者である曽祖父にあたります。

庭園:

VILLANDRY ヴィランドリー城 庭園 この城での見どころは 庭園 です。花の庭園、菜園、薬用植物庭園、果樹園などがあり、装飾庭園には花とツゲを使って愛をモチーフにした庭園があります。全庭園のツゲは全長52キロあるといわれ、薔薇もいたるところに咲き誇り毎年25万本の花を移植されています。野菜の苗を植えての菜園刈り込んだツゲの木で小区画に仕切られ、大きなかぼちゃやキャベツやセロリなどが庭園にマッチしており、ドンジョンから見る庭園全体は色彩的にも季節に応じて変化するなど見ごたえがあります。

VILLANDRY ヴィランドリー城 庭園 VILLANDRY ヴィランドリー城 庭園

建物内部:

大広間と食堂のルイ15世様式の木彫装飾、18世紀のサロンや緑の寝室などがあります。所有者家族の写真などもテーブルの上にさりげなく飾っていました。
この建物の中で目を引くのは イスラム天井 があります。15世紀にトレドで建てられたマクダ公爵の宮殿から来ています。この宮殿の四隅には四つのサロンがあり、それぞれが金や多色の木を使った格天井でできた丸屋根を持っていました。1905年に宮殿は取り壊され、そのうち三つの天井はそれぞれルーブル美術館とサンフランシスコ、マドリードの美術館に保存され、残る一つがここヴィランドリーに移されました。実際この天井を見ることは出来ますが、何せ天井なのでいささか首が疲れるのと幾何学模様になっているため目が疲れました。

休憩:

庭園を回り、城の内部を見学すると休憩タイム。気持ちの良いテラスにて地元で取れた野菜サラダとこのロワール地域のワインにて一息つきました。

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ロワールの城めぐり カンデ城

ロワールの古城めぐりの基点「TOURSトゥール」から、のんびりとお城めぐりはいかがでしょうか?
参考:トゥールにはTGV利用し、パリモンパルナス駅から1時間、パリCDG空港駅からでも1時間45分です。
トゥール駅正面噴水の先に観光案内所がありますので詳しくは尋ねてください。

CANDE カンデ城

私の勤めるフランス甲南学園トゥレーヌのあるサンシール市から南へ約14キロのところ、トゥール駅からは南西へ約11キロのところにカンデ城というお城があります。このお城は「王冠を捨てた恋」として今も語り継がれる話に出てくるお城です。
イギリスの話がなぜフランス?しかもパリではなく、ここトゥーレーヌ地方なのか?今更ながらびっくりです。

場所:

カンデ城 このお城はもともと中世の要塞であったのですが、16世紀に豪華な別荘としてルネッサンス様式にて建てられました。その後19世紀中ごろにはネオ・ゴチック様式を取り入れて改築。1927年以後億万長者の手により内装を充実。現在はアンドル・エ・ロワール県のもとで維持・管理されています。城の中の調度品などはほとんど飾っていませんが、歴史を噛み締めながら訪問するのもいいでしょう。以前は訪問者の規制がありましたが、現在は季節ごとに指定された日のみ入城可能です。

有名になった理由:

カンデ城 この城が有名なのは、1937年6月3日 イギリス王のエドワード8世がアメリカ人のウォーリス・シンプソンと結婚式を挙げハネムーンを過ごした場所になったからです。城の入り口には今もその時代を見続けた壁画があります。

少しイギリスの時代を遡ってみます。
エドワード8世は1894年6月23日イギリス王のエドワード5世とメアリー・オブ・テックの長男として生まれました。幼少期は家庭教師により厳格な教育を施されました。1910年にエドワード7世が死去したことに伴い、プリンス・オブ・ウェールズとなったエドワードは将来の国王として即位するための準備を始めます。1936年1月イギリス王ジョージ5世が亡くなり、プリンス・オブ・ウェールズは独身のまま、1月20日「エドワード8世」として王位を継承しました。即位式には1931年頃から交際し始めたウォーリス・シンプソンが立会人として付き添いました。しかし、王室関係者はウォーリスを単なる友人としか扱いませんでしたが、2人の熱き想いはその後発展し、ウォーリスは離婚手続きをして、王妃になる準備を始めました。2人の関係は個人の問題だけにとどまらず王位・王制そのものに発展する恐れが出始めました。
ついに1936年12月10日エドワード8世は退位することを発表し、イギリスは大混乱に陥りました。「・・・私は国王として重大な責任と義務を果たすことが到底不可能である。愛する女性の助けと支えなしでは・・・」という言葉で名高い退位文書をBBCを通じて読み上げました。在位日数は僅か325日で、未戴冠のままでの退位でした。

この一連の出来事を「王冠を捨てた恋」とか「王冠を賭けた恋」としてエドワード8世とウォーリス・シンプソンの恋物語として語り継がれています。

カンデ城 エドワード8世は退位後、オーストリアに渡りウイーン郊外にて隠遁生活を始めました。その後フランスに渡り、翌1937年3月8日に「ウインザー公」の称号を与えられました。同1937年6月3日このカンデ城にて親しい友人のみを招いて結婚式を挙げました。
居室の奥には2人のサインが木の壁に彫られており、今でもそれは見ることができます。暖炉の右横の木部の壁にあります。

tajima.jpg 田島 正利 (たじま まさとし)

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