歴史
ロワールの城めぐり シュヴェルニー城
ロワールの古城めぐりの基点「TOURSトゥール」から、のんびりとお城めぐりはいかがでしょうか?
参考:トゥールにはTGV利用し、パリモンパルナス駅から1時間、パリCDG空港駅からでも1時間45分です。
トゥール駅正面噴水の先に観光案内所がありますので詳しくは尋ねてください。
CHEVERNY シュヴェルニー城
場所:
TOURS駅から東方向72キロ、車で約80分。ロワール河を上りアンボワーズ城の先、さらにショーモン城からブロア城を通りやや南側に向けて移動するとシュヴェルニー城が見えてきます。シャンボール城の手前になります。
狩猟のメッカとして知られるソローニュの森のはずれに建つ優美な館です。
歴史:
旧家ユロー家は1340年から1812年までブロワの上流の土地を所有していました。1504年ジャック・ユローはシュヴェルニーの土地を取得します。その息子ラウルはルイ12世から要塞化された城を築くことを許されます。その後ラウルはイタリアで亡くなり、シュヴェルニーをアンリ2世の礼拝堂付司祭に売却しました。1551年司祭は国王の愛人ディアーヌ・ド・ポワチエに譲りました。ディアーヌは1565年まで所有、その後ラウル・ユローの息子たちに再び売却することに同意しました。領地はアンリ3世・4世の下で大法官になったシュヴェルニー伯フィリップ・ユローの手に入ります。しかし、息子のアンリは服毒自殺や処刑という悲劇の舞台となってしまったこの城を取り壊してしまいました。
その後アンリの2番目の妻マルグリットは新しい城の建設へ意欲を燃やし、1604年から1634年にかけて建てられたのが現存するシュヴェルニー城です。城の完成後1635年マルグリットは亡くなり、1648年アンリも亡くなります。
売却・取得と時代は過ぎ、1825年シュヴェルニーはヴィブレイ侯、アンヌ・ドニ・ユローが再び取得します。それ以来、城は一族の所有になります。
建物内部:
現在も個人所有であるが、1922年から一般公開されました。
正面の建物の構成は中央棟をはさんで両側がシンメトリックになっています。ファサードは南西28キロのブーレ特産の石材で作られており、時がたつにつれて白く、固くなる性質を持っています。
内部はなかなか見ごたえがあります。食堂ひとつとっても天井の梁にも装飾が施され、壁・暖炉・調度品など時間をかけて見てください。階段もルイ13世様式の直線階段、武具の間、王の寝室、伯爵夫人の肖像画、コブラン織りのタピスリー、居室には17世紀から19世紀までの家具類などがあります。

ベルギーの漫画家エルジェによって描かれた漫画 TINTINタンタン は日本でも紹介されていますが、主人公タンタンの親友ハドック船長が「レッド・ラッカムの宝」で手に入れ、その後住まいとなったムーランサール城はこのシュヴェルニー城がモデルとなりました。城の内部にはタンタンの常設展があり、本の中に出てくるサメの形の潜水艦(サメマリン号)や作中の場面紹介がされています。

伝統のひとつである狩猟は王者が愛好し、馬に乗り犬に追わせるという伝統的な儀式を今も伝えています。別棟には犬舎がありフォックスハントとポワトヴァンの交配種が70匹ほど飼われています。その隣棟にはおよそ2000頭の鹿の角が展示されており、1850年以来のシュヴェルニーの狩猟の歴史がうかがえます。
近隣:
城の周りはのどかな田園風景とこじんまりした村です。シュヴェルニーの白ワインも一味あるかと思います。
ロワールの城めぐり アゼ・ル・リドー城
ロワールの古城めぐりの基点「TOURSトゥール」から、のんびりとお城めぐりはいかがでしょうか?
参考:トゥールにはTGV利用し、パリモンパルナス駅から1時間、パリCDG空港駅からでも1時間45分です。
トゥール駅正面噴水の先に観光案内所がありますので詳しくは尋ねてください。
AZAY-LE-RIDEAU アゼ・ル・リドー城
場所:
TOURS駅から西南方向23キロ、車で約40分。駅前からバスにて行くことが出来ますが、本数が限られていますので要注意。CHINONシノン行きです。たとえばトゥール駅前9:15→アゼ・ル・リドー10:05、帰りは11時代13時代15時代があります。切符は駅前のバス専用の案内所または駅内の切符売り場にてお尋ねください。
TOURSの南西 L'INDRE(アンドル)川沿いに位置します。本校からもほぼ同じ距離に位置します。アンドル川の川面に浮かぶ城はとても美しいです。

歴史:
徴税官でありトゥールの市長であったジル・ベルトロの父マルタン・ベルトロ(ルイ11世やシャルル8世の宮内財務官)は15世紀末頃、この領地を購入しました。これは12世紀にはリデル殿が所有していた土地で地名は彼に由来しています。アンドル川の浅瀬を見下ろす要塞化されたドンジョンが現在の塔の辺りに立っていました。
1418年裏切りによってパリを奪取し、国王シャルル6世を捕らえたイギリス・ブルゴーニュ側から王太子シャルルは1年来逃れていました。ブールジュに避難していた王太子は、ベリー、オルレアネ、トゥレーヌの諸地方を制し、悲劇的に狭められた王国を、軍隊と共に遍歴しつつ、絶えず馬に跨っていました。アゼーに立ち寄った時、要塞が閉じられているのに気がつきました。ブルゴーニュ側に同盟する隊長と350人の兵士が巡回路から罵倒してきた。後のシャルル7世は隊列をとめ、ドンジョンを攻囲し、奪取しました。守備隊は全員絞首刑にされ、村と城は焼かれました。
ジル・ベルトロは1518年相続し、1527年にかけて建造されました。1529年亡くなると城は接収されアントワーヌ・ラファンに与えられました。
多くの一族が受け継ぎ、最後はビアンクール侯爵家で、1789年から1899年まで4世代が住み、城の維持と修復に配慮しました。
文豪バルザックはこの城の近くのサッシェに滞在し、たびたびこの城を訪問し、舞台背景としてこのアンドル川の谷や美しい領地からインスピレーションを受けています。
1905年国が城を取得し、維持と修復が行われています。
建物内部:
建築は15世紀のフランス様式で初期ルネッサンス芸術の完璧な例を示し、屋根・窓・門扉などに特徴が見られます。
装飾はイタリア風であり、屋根の装飾切妻・柱・まっすぐな手すり水平の踊り場のある階段などに見られます。
内部では食堂のフランス様式の天井、フランソワ1世の寝室の暖炉、王と王妃が向き合う横顔の肖像がはめ込まれた階段の天井、大広間のルネッサンス様式の暖炉、青の寝室、16・17世紀のフランドルのタピスリーなど多くのコレクションがあります。
休憩:
城の内部を見学し、外に出ましたら、右方向に移動し、広い庭にてしばし芝生に座って眺めてください。引き込まれた川面に浮かぶ城、左右対称の建物、周りの木々、青い空に白い雲をのんびりと味わうと、きっとバルザックもこんな風にしてインスピレーションをわかしていたのかなーと想いにかられました。

3月末には枯葉を落とした木々の枝の向こうに城が見え、5・6月にはすっかり新緑の木々となり、季節により楽しみ方はいろいろです。
ロワールの城めぐり ヴィランドリー城
ロワールの古城めぐりの基点「TOURSトゥール」から、のんびりとお城めぐりはいかがでしょうか?
参考:トゥールにはTGV利用し、パリモンパルナス駅から1時間、パリCDG空港駅からでも1時間45分です。
トゥール駅正面噴水の先に観光案内所がありますので詳しくは尋ねてください。
VILLANDRY ヴィランドリー城
場所:
TOURS駅から西方向15キロ、車で約30分。
TOURSの南西 CHER(シェール)川沿いに位置します。この地からシェール川の上流東に45キロほどには有名なシュノンソー城があります。シェール川はこのヴィランドリー城の西にてロワール河に合流し、大西洋に注ぎます。
本校からは南西約14キロに位置します。
歴史:
ここは14世紀に建てられコロンビエという名の封建時代の城でした。
16世紀初頭、フランス王フランソワ1世に仕え、軍司令官や財務大臣を務めたジャン・ル・ブレトンによって、もとのドンジョンのそばに新しくヴィランドリー城が着工され、1536年にルネッサンス様式の城が完成しました。ル・ブレトンはイタリア大使であった頃、ルネッサンスの造園技術を熱心に学び、この城を造るにあたっては現在のドンジョン以外は全て取り払われました。
ル・ブレトン家が約2世紀に渡って所有していたが、1754年プロヴァンス出身のカステラーヌ公爵の所有になり、庭も含めて改築・改造しました。
フランス革命の際、革命政府によって没収され、19世紀初頭皇帝ナポレオン1世の所有になり、兄のジョゼフ・ボナパルトに与えられました。
城が破壊された状態になっていた1906年、スペイン生まれのヨアキム・カルヴァロが城を購入。科学者・医者であるカルヴァロ博士は16世紀の城の修復と庭園の再現に専念し、世界的にも最も美しいルネッサンス式の庭園が出来上がりました。現在の所有者である曽祖父にあたります。
庭園:
この城での見どころは 庭園 です。花の庭園、菜園、薬用植物庭園、果樹園などがあり、装飾庭園には花とツゲを使って愛をモチーフにした庭園があります。全庭園のツゲは全長52キロあるといわれ、薔薇もいたるところに咲き誇り毎年25万本の花を移植されています。野菜の苗を植えての菜園刈り込んだツゲの木で小区画に仕切られ、大きなかぼちゃやキャベツやセロリなどが庭園にマッチしており、ドンジョンから見る庭園全体は色彩的にも季節に応じて変化するなど見ごたえがあります。
建物内部:
大広間と食堂のルイ15世様式の木彫装飾、18世紀のサロンや緑の寝室などがあります。所有者家族の写真などもテーブルの上にさりげなく飾っていました。
この建物の中で目を引くのは イスラム天井 があります。15世紀にトレドで建てられたマクダ公爵の宮殿から来ています。この宮殿の四隅には四つのサロンがあり、それぞれが金や多色の木を使った格天井でできた丸屋根を持っていました。1905年に宮殿は取り壊され、そのうち三つの天井はそれぞれルーブル美術館とサンフランシスコ、マドリードの美術館に保存され、残る一つがここヴィランドリーに移されました。実際この天井を見ることは出来ますが、何せ天井なのでいささか首が疲れるのと幾何学模様になっているため目が疲れました。
休憩:
庭園を回り、城の内部を見学すると休憩タイム。気持ちの良いテラスにて地元で取れた野菜サラダとこのロワール地域のワインにて一息つきました。
ロワールの城めぐり カンデ城
ロワールの古城めぐりの基点「TOURSトゥール」から、のんびりとお城めぐりはいかがでしょうか?
参考:トゥールにはTGV利用し、パリモンパルナス駅から1時間、パリCDG空港駅からでも1時間45分です。
トゥール駅正面噴水の先に観光案内所がありますので詳しくは尋ねてください。
CANDE カンデ城
私の勤めるフランス甲南学園トゥレーヌのあるサンシール市から南へ約14キロのところ、トゥール駅からは南西へ約11キロのところにカンデ城というお城があります。このお城は「王冠を捨てた恋」として今も語り継がれる話に出てくるお城です。
イギリスの話がなぜフランス?しかもパリではなく、ここトゥーレーヌ地方なのか?今更ながらびっくりです。
場所:
このお城はもともと中世の要塞であったのですが、16世紀に豪華な別荘としてルネッサンス様式にて建てられました。その後19世紀中ごろにはネオ・ゴチック様式を取り入れて改築。1927年以後億万長者の手により内装を充実。現在はアンドル・エ・ロワール県のもとで維持・管理されています。城の中の調度品などはほとんど飾っていませんが、歴史を噛み締めながら訪問するのもいいでしょう。以前は訪問者の規制がありましたが、現在は季節ごとに指定された日のみ入城可能です。
有名になった理由:
この城が有名なのは、1937年6月3日 イギリス王のエドワード8世がアメリカ人のウォーリス・シンプソンと結婚式を挙げハネムーンを過ごした場所になったからです。城の入り口には今もその時代を見続けた壁画があります。
少しイギリスの時代を遡ってみます。
エドワード8世は1894年6月23日イギリス王のエドワード5世とメアリー・オブ・テックの長男として生まれました。幼少期は家庭教師により厳格な教育を施されました。1910年にエドワード7世が死去したことに伴い、プリンス・オブ・ウェールズとなったエドワードは将来の国王として即位するための準備を始めます。1936年1月イギリス王ジョージ5世が亡くなり、プリンス・オブ・ウェールズは独身のまま、1月20日「エドワード8世」として王位を継承しました。即位式には1931年頃から交際し始めたウォーリス・シンプソンが立会人として付き添いました。しかし、王室関係者はウォーリスを単なる友人としか扱いませんでしたが、2人の熱き想いはその後発展し、ウォーリスは離婚手続きをして、王妃になる準備を始めました。2人の関係は個人の問題だけにとどまらず王位・王制そのものに発展する恐れが出始めました。
ついに1936年12月10日エドワード8世は退位することを発表し、イギリスは大混乱に陥りました。「・・・私は国王として重大な責任と義務を果たすことが到底不可能である。愛する女性の助けと支えなしでは・・・」という言葉で名高い退位文書をBBCを通じて読み上げました。在位日数は僅か325日で、未戴冠のままでの退位でした。
この一連の出来事を「王冠を捨てた恋」とか「王冠を賭けた恋」としてエドワード8世とウォーリス・シンプソンの恋物語として語り継がれています。
エドワード8世は退位後、オーストリアに渡りウイーン郊外にて隠遁生活を始めました。その後フランスに渡り、翌1937年3月8日に「ウインザー公」の称号を与えられました。同1937年6月3日このカンデ城にて親しい友人のみを招いて結婚式を挙げました。
居室の奥には2人のサインが木の壁に彫られており、今でもそれは見ることができます。暖炉の右横の木部の壁にあります。




