2010年2月

ロワールの城めぐり シュヴェルニー城

ロワールの古城めぐりの基点「TOURSトゥール」から、のんびりとお城めぐりはいかがでしょうか?
参考:トゥールにはTGV利用し、パリモンパルナス駅から1時間、パリCDG空港駅からでも1時間45分です。
トゥール駅正面噴水の先に観光案内所がありますので詳しくは尋ねてください。

CHEVERNY シュヴェルニー城

場所:

CHEVERNY シュヴェルニー城 TOURS駅から東方向72キロ、車で約80分。ロワール河を上りアンボワーズ城の先、さらにショーモン城からブロア城を通りやや南側に向けて移動するとシュヴェルニー城が見えてきます。シャンボール城の手前になります。
狩猟のメッカとして知られるソローニュの森のはずれに建つ優美な館です。

歴史:

CHEVERNY シュヴェルニー城 旧家ユロー家は1340年から1812年までブロワの上流の土地を所有していました。1504年ジャック・ユローはシュヴェルニーの土地を取得します。その息子ラウルはルイ12世から要塞化された城を築くことを許されます。その後ラウルはイタリアで亡くなり、シュヴェルニーをアンリ2世の礼拝堂付司祭に売却しました。1551年司祭は国王の愛人ディアーヌ・ド・ポワチエに譲りました。ディアーヌは1565年まで所有、その後ラウル・ユローの息子たちに再び売却することに同意しました。領地はアンリ3世・4世の下で大法官になったシュヴェルニー伯フィリップ・ユローの手に入ります。しかし、息子のアンリは服毒自殺や処刑という悲劇の舞台となってしまったこの城を取り壊してしまいました。
その後アンリの2番目の妻マルグリットは新しい城の建設へ意欲を燃やし、1604年から1634年にかけて建てられたのが現存するシュヴェルニー城です。城の完成後1635年マルグリットは亡くなり、1648年アンリも亡くなります。 売却・取得と時代は過ぎ、1825年シュヴェルニーはヴィブレイ侯、アンヌ・ドニ・ユローが再び取得します。それ以来、城は一族の所有になります。

建物内部:

CHEVERNY シュヴェルニー城 現在も個人所有であるが、1922年から一般公開されました。
正面の建物の構成は中央棟をはさんで両側がシンメトリックになっています。ファサードは南西28キロのブーレ特産の石材で作られており、時がたつにつれて白く、固くなる性質を持っています。
内部はなかなか見ごたえがあります。食堂ひとつとっても天井の梁にも装飾が施され、壁・暖炉・調度品など時間をかけて見てください。階段もルイ13世様式の直線階段、武具の間、王の寝室、伯爵夫人の肖像画、コブラン織りのタピスリー、居室には17世紀から19世紀までの家具類などがあります。

CHEVERNY シュヴェルニー城 CHEVERNY シュヴェルニー城

ベルギーの漫画家エルジェによって描かれた漫画 TINTINタンタン は日本でも紹介されていますが、主人公タンタンの親友ハドック船長が「レッド・ラッカムの宝」で手に入れ、その後住まいとなったムーランサール城はこのシュヴェルニー城がモデルとなりました。城の内部にはタンタンの常設展があり、本の中に出てくるサメの形の潜水艦(サメマリン号)や作中の場面紹介がされています。

CHEVERNY シュヴェルニー城

伝統のひとつである狩猟は王者が愛好し、馬に乗り犬に追わせるという伝統的な儀式を今も伝えています。別棟には犬舎がありフォックスハントとポワトヴァンの交配種が70匹ほど飼われています。その隣棟にはおよそ2000頭の鹿の角が展示されており、1850年以来のシュヴェルニーの狩猟の歴史がうかがえます。

近隣:

城の周りはのどかな田園風景とこじんまりした村です。シュヴェルニーの白ワインも一味あるかと思います。

tajima.jpg 田島 正利 (たじま まさとし)

海外留学の経験を生かし、お勧めのフランスの町や古城をご案内します。




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ロワールの城めぐり アゼ・ル・リドー城

ロワールの古城めぐりの基点「TOURSトゥール」から、のんびりとお城めぐりはいかがでしょうか?
参考:トゥールにはTGV利用し、パリモンパルナス駅から1時間、パリCDG空港駅からでも1時間45分です。
トゥール駅正面噴水の先に観光案内所がありますので詳しくは尋ねてください。

AZAY-LE-RIDEAU アゼ・ル・リドー城

場所:

TOURS駅から西南方向23キロ、車で約40分。駅前からバスにて行くことが出来ますが、本数が限られていますので要注意。CHINONシノン行きです。たとえばトゥール駅前9:15→アゼ・ル・リドー10:05、帰りは11時代13時代15時代があります。切符は駅前のバス専用の案内所または駅内の切符売り場にてお尋ねください。

TOURSの南西 L'INDRE(アンドル)川沿いに位置します。本校からもほぼ同じ距離に位置します。アンドル川の川面に浮かぶ城はとても美しいです。

AZAY-LE-RIDEAU アゼ・ル・リドー城 AZAY-LE-RIDEAU アゼ・ル・リドー城

歴史:

AZAY-LE-RIDEAU アゼ・ル・リドー城 徴税官でありトゥールの市長であったジル・ベルトロの父マルタン・ベルトロ(ルイ11世やシャルル8世の宮内財務官)は15世紀末頃、この領地を購入しました。これは12世紀にはリデル殿が所有していた土地で地名は彼に由来しています。アンドル川の浅瀬を見下ろす要塞化されたドンジョンが現在の塔の辺りに立っていました。
1418年裏切りによってパリを奪取し、国王シャルル6世を捕らえたイギリス・ブルゴーニュ側から王太子シャルルは1年来逃れていました。ブールジュに避難していた王太子は、ベリー、オルレアネ、トゥレーヌの諸地方を制し、悲劇的に狭められた王国を、軍隊と共に遍歴しつつ、絶えず馬に跨っていました。アゼーに立ち寄った時、要塞が閉じられているのに気がつきました。ブルゴーニュ側に同盟する隊長と350人の兵士が巡回路から罵倒してきた。後のシャルル7世は隊列をとめ、ドンジョンを攻囲し、奪取しました。守備隊は全員絞首刑にされ、村と城は焼かれました。
ジル・ベルトロは1518年相続し、1527年にかけて建造されました。1529年亡くなると城は接収されアントワーヌ・ラファンに与えられました。
多くの一族が受け継ぎ、最後はビアンクール侯爵家で、1789年から1899年まで4世代が住み、城の維持と修復に配慮しました。
文豪バルザックはこの城の近くのサッシェに滞在し、たびたびこの城を訪問し、舞台背景としてこのアンドル川の谷や美しい領地からインスピレーションを受けています。
1905年国が城を取得し、維持と修復が行われています。

建物内部:

AZAY-LE-RIDEAU アゼ・ル・リドー城 建築は15世紀のフランス様式で初期ルネッサンス芸術の完璧な例を示し、屋根・窓・門扉などに特徴が見られます。
装飾はイタリア風であり、屋根の装飾切妻・柱・まっすぐな手すり水平の踊り場のある階段などに見られます。
内部では食堂のフランス様式の天井、フランソワ1世の寝室の暖炉、王と王妃が向き合う横顔の肖像がはめ込まれた階段の天井、大広間のルネッサンス様式の暖炉、青の寝室、16・17世紀のフランドルのタピスリーなど多くのコレクションがあります。

休憩:

AZAY-LE-RIDEAU アゼ・ル・リドー城 城の内部を見学し、外に出ましたら、右方向に移動し、広い庭にてしばし芝生に座って眺めてください。引き込まれた川面に浮かぶ城、左右対称の建物、周りの木々、青い空に白い雲をのんびりと味わうと、きっとバルザックもこんな風にしてインスピレーションをわかしていたのかなーと想いにかられました。

AZAY-LE-RIDEAU アゼ・ル・リドー城

3月末には枯葉を落とした木々の枝の向こうに城が見え、5・6月にはすっかり新緑の木々となり、季節により楽しみ方はいろいろです。

AZAY-LE-RIDEAU アゼ・ル・リドー城
tajima.jpg 田島 正利 (たじま まさとし)

海外留学の経験を生かし、お勧めのフランスの町や古城をご案内します。




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