2009年10月

撮る観光案内(サッシェ館〔オノレ・ド・バルザック〕編)

撮る観光案内(サッシェ館〔オノレ・ド・バルザック〕編)

フランスの小説家オノレ・ド・バルザックをご存知ですか?「谷間の百合」「ゴリオ爺さん」「人間喜劇」など多くの作品を残しました。観光案内書を見ますとパリ市内16区(エッフェル塔のセーヌ川反対側)に「バルザック記念館」があり1840年~1847年の8年間住んでいました。
バルザックは、私の勤めるフランス甲南学園トゥレーヌのあるサンシール市と隣町トゥール市と非常に関係があります。実はバルザックはここトゥール市の出身なのです。
今回は、バルザックの生涯をご紹介するとともに、彼が多くの小説を書き上げたサッシェ館についてご案内いたします。

生誕地トゥール市

バルザックは1799年5月20日、トゥール市のラルメ・ディタリー通りにて生まれました。このラルメ・ディタリー通りは、現在のナショナル通りという名前のメインストリートにあたります。1940年6月の爆撃により、この通りは大きな被害を受けたため、生誕地は正確にはわからないのですが、ナショナル通り53番地界隈のようです。現在は薬局になっているところでした。トゥール駅の左手にトゥール市役所があり、そこからロワール河に向かって北にまっすぐ伸びた通りがナショナル通りです。

ナショナル通り 53番地界隈

1999年には生誕200年記念行事が行われ、たくさんの催し物が企画・実行されました。また、記念の大きなガラスのモニュメントも製作され飾られています。このモニュメントを製作したのは、以前本校にて美術の先生であったジャン・フランソワ・ヴィアール(Jean Francois Wiart)さんです。トゥール駅の北500メートルにあるサンガシアン教会の手前にトゥール美術館(Musee des Beaux-Arts)があり、その門の前にある小さな公園(Place Francois Sicard)内の噴水の横にこのモニュメントがあります。ヴィアールさんはガラス工芸作家であり、トゥール南の大きな屋敷内にアトリエを持っていますが、現在はモロッコにて創作活動をしています。

ガラスのモニュメント サンガシアン教会

サンシール市

ガラスのモニュメント
サンガシアン教会

年譜にはこのように書かれています。「妹が生まれると同時にサン・シール・シュール・ロワールに里子に出される。」また、短編「ざくろ屋敷」というものがありますが、生誕地のナショナル通りからまっすぐ北に行き、ロワール河のウイルソン橋を渡り、渡り終えた十字路を左に曲がり川沿いの道を西に向かうと、右手の丘の上に緑色の雨戸のかかっている家があります。これがざくろ屋敷であり、まさに私の勤めるフランス甲南学園トゥレーヌのあるサンシール市内です。
幼いときから里子に出され母親の愛情を受けることがなく、また1807年6月から1813年4月までヴァンドームの学校寄宿舎に入れられ、この6年間で母親の面会が2度しかなかったという孤独な少年時代を送り、その後の小説の登場人物像に重なり合うという事実になっています。

パリ

1814年家族と共にパリに引越し、大学では法律を学ぶのですが、ジャーナリストと小説家を志します。また、実業家でもあり出版社の創立にかかわったりして、パリにて住居を転々と移動します。1826年印刷業を創業しましたが、1828年に倒産し、莫大な借金を返すために小説や記事を書き始めました。この後もパリでは何度も住居を移動し、1840年から住んだところが、現在「バルザック記念館」として博物館になっており、遺品や調度品・絵画などが展示されています。

サッシェ館

サッシェ館 サッシェ村はトゥール市の南西約20キロに位置するこじんまりした村です。その村の中心地にサッシェ館があります。中世に建てられ17世紀にはルッセレ家の所有になり、19世紀にはジョン・マルゴンヌ夫妻が買い取り住み始めました。マルゴンヌ氏と親しい間柄であったバルザックはここに頻繁に滞在するようになります。初めてこの館にきたのは1813年寄宿生活時に読書のし過ぎから体調を崩し、実家に連れ戻されたときであり、この館にて体調を取り戻しました。
作家時代にはパリから逃れ、作品の構想を練るためにトゥレーヌに戻りました。1824年から1837年まで、毎年のようにサッシェ館を訪れていたそうです。館主であるマルゴンヌ氏はバルザックの滞在中には知人を呼んでサロンを開いていました。そのときにバルザックは書き上げた作品を披露したり、客人の話からアイデアを得ていたりしました。「ゴリオ爺さん」「谷間の百合」などの多くの小説をこの場所にて書いたということで知られています。

サッシェ館 庭に出て辺りを見回すと、なだらかに傾斜した草原が続く様子が見られ「谷間の百合」の背景になった「谷間」を感じることができます。

バルザック記念館 その後マルゴンヌ家からメタディエ家に所管が移り、1951年にポール・メタディエ氏によって[バルザック記念館]としてオリジナル書籍や寝室などを整えてきました。現在はアンドル・エ・ロワール県の所有物となり、オリジナル原稿を買い取ってデジタル化したり、研究者への閲覧をするなど博物館として充実させました。
客人が来たときの客間や執筆活動した机や使用していたベッドが、当時のままにて展示されています。父母の絵や小説に出でてくる人物画などが壁にかかり、発行された本やその発行された本に自筆修正を加えたものなどが残されています。また、世界各国で翻訳された本が展示され、日本語での本もありました。他にも、バルザックが実際使用していた印刷機や友人でもあったロダンが作ったバルザックの彫刻などが展示されています。

バルザック記念館 バルザック記念館

まとめ

バルザックは長年の愛人であるハンスカ婦人とは1850年3月14日にようやく結婚したましたが、持病が悪化して病に伏し、8月18日ヴィクトル・ユゴーが見舞った夜に51歳の生涯を終えました。遺骨はパリのペール・ラシューズの墓地に埋葬されています。

波乱の多い人生と訪問した数多くの町の様子をたどると、彼の作品に登場する人物や町と重なり合う部分があり、片手に地図・もう一方の手に小説を抱えてのんびりと歩く旅もまた楽しからずやです。

tajima.jpg 田島 正利 (たじま まさとし)

海外留学の経験を生かし、お勧めのフランスの町や古城をご案内します。




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